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容斎歴史画譜 第十二 村上義光錦旗守護ノ図ヨウサイレキシガフ  ダイ12  ムラカミヨシミツニシキノミハタシュゴノズ

容斎歴史画譜 第十二 村上義光錦旗守護ノ図

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作者名 容斎、月斎    (菊池 容斎:画,福井月斎:縮図)
作者名ヨミ ヨウサイ  ゲッサイ  (キクチ ヨウサイ   フクイ ゲッサイ)
代表明細・シリーズ名称 容斎歴史画譜 
落款等備考
制作者備考 青木蒿山堂
印章等
印章注記
時代区分 明治27年
西暦 1894
形態 中判
種別1 木版画
種別2 色摺
種別3
内容1 物語画
内容2 歴史画 人物画 袋付
内容3 村上義光 錦旗 白馬

追加情報

村上義光は鎌倉後期の武将。南北朝が争った元弘の乱では、護良親王に従って各地で戦ったが特に笠置落城後に親王が高野山へ逃れる際に、十津川でいったん奪われた錦旗を奪還した手柄が知られる。幕府軍の攻撃で吉野が落ちると、親王の身代わりとなって自刃した。
元弘の乱の際に、十津川で錦旗を奪還した村上義光である。大鎧姿で紫色の厚総(あつぶさ)をたらした白馬とともに立ち、赤い錦旗を握りしめている。錦旗(にしきのみはた)は朝敵討伐の際に官軍の標章として用いられ、赤地に日・月を丸く刺繍してあった。義光の胸に見える白い輪は弦巻(つるまき)で、弓の弦を巻いて納めてあり、矢を入れた箙(えびら)の背負いひも(掛緒)に吊り下げてある。背景は、山深い十津川の風景。
明治維新の際、戊辰戦争で討幕軍がいちはやく錦旗をかかげたことが、勝利の大きな要因とされ、元弘の乱で錦旗を守り抜いた村上義光が関連づけられ、改めて評価されたようだ。
八十容斎の落款
錦旗はキンキとも詠む。

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