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百人一首之内 西行法師 ヒャクニンイッシュノウチ サイギョウホウシ

百人一首之内 西行法師 

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作者名 国芳    (一勇斎 國芳/歌川 国芳)
作者名ヨミ クニヨシ  (チユウサイ クニヨシ/ウタガワ クニヨシ)
代表明細・シリーズ名称 百人一首之内
落款等備考 一勇斎國芳
制作者備考 エヒ子
印章等 版元
印章注記
時代区分 天保9年頃
西暦 1838
形態 大判
種別1 木版浮世絵
種別2 錦絵
種別3
内容1 風俗画 人物画 子ども絵 物語画
内容2 歴史 百人一首
内容3 和歌(西行法師) 西行 子ども(少年 少女 幼児) 銀の猫 亀の子半天 背守り(結び文) 巾着 柳

追加情報

江戸時代に百人一首は版本、かるた、浮世絵となって広く流布し、人々に愛好された。浮世絵師による百人一首の絵ときは、北斎、豊国三代なども行っているが、これは国芳による百枚揃で、作者、歌、歌意を記し、本画で絵ときをしている。
歌は「嘆けといって月はこの私に恋の物思いをさせるのだろうか。いや、そうでない。まるで月のせいであるかのように、こぼれ流れる私の涙であることよ」の意。本絵はこの歌の絵ときではなく、栄達も富貴も求めず旅と歌に生きた西行の生き方を示す逸話から「銀の猫」を描いている。ある時、源頼朝に招かれた西行は、ご褒美に銀の猫をいただくが、門を出ると近くにいた子どもにこれをくれてやるのである。この子どもたちの風俗は江戸時代であり、亀の子半天や結び文の背守り、巾着、それに竹の下駄を見ることができる。墨衣の西行は、柳の大木の下に立っている。
百人一首が庶民にも愛好され、その歌意の理解に浮世絵も一役買っていたことがうかがえる。
なげけとて 月やは物を 思はする
かこちがなほ(顔な)る 我が涙かな

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