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大新板出世太閣一代記寿語録ダイシンパンシュッセタイコウイチダイキスゴロク

大新板出世太閣一代記寿語録

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作者名 王水
作者名ヨミ オウスイ
代表明細・シリーズ名称 大新板出世太閣一代記寿語録
落款等備考
制作者備考 墨屋小兵衛(京都)
印章等
印章注記
時代区分 弘化頃
西暦 1844-1848
形態 間判 全判か(1枚もの)
種別1 木版浮世絵
種別2 墨摺絵
種別3
内容1 絵双六 出世 歴史(武将)
内容2 遊び ゲーム絵
内容3 双六 太閤(豊臣秀吉) 蜂須賀小六 松下之綱 織田信長 明智光秀 森蘭丸 佐久間盛政

追加情報

豊臣秀吉の誕生から太閤までの一代記をたどる出世双六であり、武将双六である。武将個人の一代記は、義経と秀吉くらいだが、徳川中期まで秀吉の一代記は許されなかったと思われる。幕末になると「大功記出世双六」「日吉丸出世の鑑」などが登場する。
「ふりはじめ」は「日吉丸たん生」で、誕生の際に母は懐中に太陽が入る夢を見、夜も日光が輝いたとする場面だ。「い」は子を井戸にしばりつけ子守から逃げ出すところ。「ろ」は矢作橋での蜂須賀小六との出会い。「は」以下は、松下之綱に仕えてから信長の家臣となり、清洲城の割普請などで活躍、本能寺の変の後、山崎合戦で明智光秀(武智)を討ち、賤が岳の合戦で柴田勝家を破り、天下を統一、「か」の朝鮮出兵後に「上り」となっている。「上り」は豊臣太功秀吉公とあり、御殿上段の間で大名の伺候を受けている。
秀吉の出世双六としては初期のもので、京の版元から墨摺で出版されていることが注目される。分類では、出世双六であり、武将双六でもある。
日吉丸たん生→い・□子もり→ろ・小六につかへる→は・松下の奉行→に・えらい人お見る→ほ・信長へ目みへ→へ・割ふしん→と・鑓の長たん→ち・桶はさま合戦→り・武(明)智を打→ぬ・本能寺のだん→る・秀吉ー騎がけ→を・山さき合せん→わ・しづか獄合戦→か・朝せん渡海→上り・豊臣太功秀吉公
遊び方「飛び双六」だが、枡目に「いろは」がつけてあり、飛ぶ先は枡目上部隅のわく内に「いろは」で示している。
・絵師の玉水も京の人。「極楽道中図絵双六」も残している。
・画中「は」~「ほ」では、秀吉が「東吉」と表記され、「わ」「か」で「太こう」となっている。

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