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蚕家織子之図 第八〈糸くり〉/蚕家織子之圖 第八〈糸くり〉    サンカショクシノズ ダイハチ:イトクリ

蚕家織子之図 第八〈糸くり〉/蚕家織子之圖 第八〈糸くり〉    

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作者名 国芳   (一勇斎 國芳/歌川 国芳)
作者名ヨミ クニヨシ   (イチユウサイ クニヨシ/ウタガワ クニヨシ)
代表明細・シリーズ名称 蚕家織子之図
落款等備考 一勇斎國芳画
制作者備考 佐野屋喜兵衛(佐野喜)
印章等 版元
印章注記
時代区分 天保頃
西暦 1830-1844
形態 大判
種別1 木版浮世絵
種別2 錦絵
種別3
内容1 子ども絵
内容2 日常生活 産業 職業
内容3 おかいこ 養蚕

追加情報

*本史料は、養蚕から機織りまでの一連の作業を略述したもので、同様の記事が江戸後期の女子用往来などにも多数見られるが、これらの記事が見え始めたのは、宝永 正徳以降と考えられる。この頃は産業別の往来物が登場し始めた時期で、庶民教育の広がりとともに、教育における職業的知識が重視された結果であろう。
【第八・糸くり】
生まゆを塩にひたす事あり。大き成つぼの内底に竹のすを入、其上に桐の葉を敷、又、其うへにまゆを敷ならべ、又、その上桐のはを敷て、塩をふりかけて、よくふたをして上を泥にてぬりふさぎ、七日にして取出し、釜に入て、わくにかけて糸にくり取なり。
一勇斎国芳画 佐野喜
シリーズ全体讃
蚕家織子(さんかしょくし)之図
【第一・蚕種】
蚕種の紙に産付たるが、春三月中気穀雨前後に生れ出るを「かえる」といふなり。一番、二ばんなどゝ別ち、おしきへいれ、桑の葉をきざみあたふる。是を「黒子」とも「一つずへ」ともいふなり。
一勇斎国芳画 佐野喜
*以下、画工名・板元名は同様につき省略。

【第二・採桑】
蚕煩ひなやむ事有て、桑をしか  食はぬこと四度(たび)有。是を「眠」とも「よどむ」ともいふ。第二度目の休を「高休」とも、「二度居」とも、「たけのやすみ」ともいふ。第三度目の休を「ふなの休」ともいふ。すへて休の時は、桑をあたふる事、其かげんあり。

【第三・稚蚕への給桑】
蚕三度の休の後、桑をくるゝにしたがひ、次第に大きになり、ます  多くなる故に、外(ほか)の竹すだれやうのものにうつし、桑の葉を刻み製するいとまなし。

【第四・蚕の休眠】
蚕、第四度目の休おば「大眠」とも、「にわの休」ともいふなり。追付(おっつけ)、起出(おきいず)べき時をうかゞひ、其用意をなす。

【第五・壮蚕への給桑】
蚕すでに「大眠り起」して、後は桑の葉をくるゝ事前々よりは多きゆゑ、桑の葉を採(とり)せいするにいとまなく、いそがしき。

【第六・営繭(上蔟))
蚕まゆを作る時を「はい子」といふ。広きふたの類に椎・柴などの物を置て、わらをおゝひにして、まゆを張すなり。四、五日もして後、まゆを一つづゝもぎはなして取なり。

【第七・羽化・産卵】
蚕種を取事は、蔟(まゆ)はるものより、取時、形のよき蚕をえらんで糸にてくゝり、釣置ば、蛾の蝶になり出る。牝牡(めお)を一つにしておけば、だん  子を産つける也。これを「うわ子」といふ。

【第八・糸くり】
生まゆを塩にひたす事あり。大き成つぼの内底に竹のすを入、其上に桐の葉を敷、又、其うへにまゆを敷ならべ、又、その上桐のはを敷て、塩をふりかけて、よくふたをして上を泥にてぬりふさぎ、七日にして取出し、釜に入て、わくにかけて糸にくり取なり。

【第九・選別調整】
蔟より糸をおろし、色白く、いさぎよきを細糸のまゆとし、色黒きを粗糸のまゆとす。其綿に引くも、上中下をえらみ分ち、形を作りて束(たばね)、糸幾はく把とするなり。

【第十・機織り】★
蚕の神を祭る事、日本(ひのもと)の古(いに)しへを考がふれば、斬過突智(かぐつち=軻遇突智神(かぐつちのかみ))、埴山姫(はにやまひめ)に逢て、稚彦霊(わかひこび)を産。此神の頭に蚕と桑となれりと、『神代巻』に見へたれば、本朝にては稚彦霊を祭るべきものか。又、第廿二代雄略天皇の御后みつから養蚕(こがい)し給ふ事、『日本紀』に見へたり。唐土(もろこし)にては黄帝の后・西陵氏を始とする事、『通鑑』に出せり。

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