作品検索結果詳細

文学ばんだいの宝 末の巻ブンガクバンダイノタカラ スエノマキ

文学ばんだいの宝 末の巻

拡大して見る

作者名 花里  (一寸子 花里)
作者名ヨミ ハナサト  (イッスンシ ハナサト)
代表明細・シリーズ名称 文学ばんだいの宝
落款等備考 一寸子花里画
制作者備考
印章等 名主1
印章注記 名主:普(普勝)
時代区分 弘化3年頃
西暦 1846
形態 大判
種別1 木版浮世絵
種別2 錦絵
種別3
内容1 子ども絵
内容2 手習い絵
内容3 寺子屋、悪戯、姉様人形、上り目下り目、女師匠、助手、天神机、本箱 

追加情報

男女別の寺子屋教室風景を描いた作品の女子である。寺子屋では男女で席を分けたことや、女師匠だけでなく助手もいたこと、個人別自学自習であり、机(天神机)の配置も自由であったこと、遊ぶ子どももいたことなどがよくとらえられている。
右上の讚には、手習いの大切さを「居ながら我思いを日本から、さらには海外へも伝え、美名をあげる」と説いている。男子の讚には、自分の思いを後世に伝えることができるとしている。
左奥に女師匠が座り、その前で手本(往来物)を広げた子どもが読みのチェックを受けている。子どもたちは一人一人に与えられた手本の読み書きが、きちんと出来るようになったか、確認され、できると新しい手本に進んだ。前列の子どもは手習いに励んでおり、右側の幼い子は助手の手助けで「いろは」を書いている。手前の子どもたちは姉様人形を持ち出したり、上り目下り目をしたり手習いそっちのけで遊んでいる。なかには助手の鼻にこよりでいたずらをする子もいる。寺子屋では単調な書写の習熟が中心だっただけに、時間がたつと息抜きに遊びをする子もいたようだ。師匠の背後には本と硯の置かれた机と、活花、香道、茶道、歌道の本箱がある。
江戸後期に日本は世界で最も識字率の高い国の一つであったとされるが、義務教育の制度がない中でそれを支えたのは、寺子屋の普及と庶民の学習意欲の高まりであった。その学習意欲を高めるのに大きな役割を果たしたのが、このような寺子屋を題材とした浮世絵であった。「幼童諸芸教草 手習」(歌川国芳)などと同様に、手習の大切さをよく説いてある。寺子屋を描いた代表的な作品の一つである。
【始の巻】
文学万代の宝  始の巻
世の中の諸芸、いづれも其道に妙あり。そが中に文学・筆道は、高きもひくきも、しらではかなはぬ芸にして、たとへば、人つて、ことつての及ぬ所、或は内用、外聞をいとふ事を、居ながら我おもふやうをのべ、一筆一紙にしたため、日本はさらなり、唐土(もろこし)、天竺、万里のほか迄も、美名をあげるも、文筆道の尊き徳なり。故に、おさなき時よりおしへ置べし。身分いやしき人にても、此道に達したるはいと奥ゆかし。金銭をたくわふ事を欲するものは、かならず仁恵文情はいらぬ事とあざける者なり。是は、論ずるにたらず。貧福の有無は智才のあづかる所にてはなし。古人のおしへにも仁心仁文とて、慈悲、恵む心の有其上に、きれいにあやどりたるを仁文といえり。人は只、仁心文学を本とするを第一にして、家国を治るも、この尊き道より出る。文筆を能しる人は、身いやしくとも、
【末の巻】
高位・貴人もあげもちひ給ふは、尊き芸の明なる徳ならずや。また「月」「日」を合てあきらか(明)と云。人両眼あつて、おしへずして諸色・物々をよく見わけるといへど、文学・筆道はならはずして見わけがたし。きりようりつぱ(器量立派)なる人がらにして、なりをかざりても筆とる事知らぬははづかしき、見にくきものなり。文道をしらぬものは、自まゝをいふ者なし。又、俗にあきめくらと云。故に無筆は両眼有てなきがごとし。人万年の命をたもつ事なし。文筆を以つたへ置ときは、幾万年をへても古人のこゝろをしり、先祖のつたへ逢てはなす如く、金銭財宝は尽朽る事有。文学筆道は末代不朽、名を残す。かく尊き文学の師恩を夫程におもはぬも、歎ヶ敷(なげかわし)。親たる者、文武は国家を治る尊き重宝の種と云々。
文学ばんだいの宝  末の巻
讚では、この女子用が文章を書くことによって思いを遠隔地まで広く伝えることができると、その地理的効用を説いているのに対し、男子用では、命なき後も思いを末代まで伝えることができるとして、歴史的効用を説いている。

原画貸出などの問い合わせはこちらこの画像をご利用されたい方はお問い合わせよりご連絡ください

5,000円
から
まで

公文と子ども浮世絵

カテゴリで見る浮世絵