
牛痘大意
- 資料名1
- 牛痘大意
- 史料名1よみ
- ぎゅうとうたいい
- 史料名Roma1
- gyuutoutaii
- 絵師・著者名
- Creator
- 落款等備考
- 板元・製作者
- 圭輔木邨環
- 制作年和暦
- 制作年西暦
- 書誌解題
- 資料名1
- 牛痘大意
- 資料名2
- 史料名1よみ
- ぎゅうとうたいい
- 史料名2よみ
- 史料名Roma1
- gyuutoutaii
- 史料名Roma2
- Title
- Alternative title
- シリーズ名・代表明細
- 牛痘大意
- 絵師・著者名
- 絵師・著作者名よみ
- Creator
- 管理No.
- 00000165
- 管理No.枝番号
- 落款等備考
- 板元・製作者
- 圭輔木邨環
- 彫摺師
- 制作年和暦
- 制作年西暦
- 制作年月
- 書誌解題
- 判型・形態
- 一枚摺
- 印章の有無
- 印章内容
- 複製フラグ
- 種別1
- 木版画
- 種別2
- 墨摺
- 種別3
- その他摺物(種痘の案内)
- 内容1
- その他
- 内容2
- 病気
- 内容3
- 疱瘡
- テーマ
- 具体物
- Comments
- 位置づけ
- 讃・画中文字
- 牛痘大意是迄流行する所の種痘法(うえぼうそう)は、千古の妙方なりと云とも、いまた其理を究めす。依て、旧法によらすして猥りに之を種(うゆ)るときは、只益なき而已(のみ)にあらす、却(かえっ)て人を害すること有。然(しか)るに、嘉永二年の秋、西洋(おらんだ)の人初て牛痘の苗(たね)を長崎へ伝てより、三都の内専ら其苗(なえ)を移し取て之を種(うえ)試るに、二、三顆(ふたつみつ)、或(あるい)は四、五顆(よつぶいつつぶ)にして小児平生(つね)の如く遊戯(あそび)しなから生涯の大厄を免かるゝは寔(まこと)に一大奇方と謂へし。抑(そもそも)疱瘡は胎毒にあらす。又、天地間の気運にて病(やむ)にも非す。是、往古(むかし)異邦(よそのくに)よりわたりし一種の大悪瘡なる由(よし)は、唐山(から)の名医・丘浩川(きゅうおうせん)なるもの、『引痘新方全書』を著はして、詳(つまびら)かに論したり。吾 (この場所一字あき*日本に対する敬意、愛国の念を示す)日本へも茲毒伝染してより以来(このかた)小児の一大厄と成れり。世人、我子の愛を思はゝ、疑ひを起さす★早く之を種(うえ)て難痘の憂を去へし。今、此牛痘の苗を以て術を施す時は、再発の患(うれえ)更に有ことなし。予、世上の小児痘瘡(ほうそう)の為に命期を促し、或は瞽者(めくら)と成(なり)、亦は醜容(みにくきかたち)と成を救はんか為、去歳以来、四方に周遊して茲(この)法を施す。然るに俗人は却つて是を信し、治術を乞んと欲するもの有といへとも文盲の俗医間(まま)之を謗(そし)る者あるか故に、疑惑する人亦多し。是何故と思に、軽薄卑賤の医流疱瘡の流行(はやる)を待得て、己か拙き術を売て小利を饕(むさぼ)らんか為、仁術を行ふ身として前聖未発の済世の名方を妨くるは、其罪殆五刑に過たり。且、俗物にして是を阻むもの有。是又舌頭を以て人を残害するにひとしく、所謂天下の罪人にして悪(にく)むへきの甚たしきものなり。斯る無知文盲の族(やから)に欺かるゝは最(いと)口惜き次第なり。又、悲しい哉、俗人は謝礼等のことに心つかひして延引するもの寡(すくな)からす。予は、世人を惑はして金銀を貪るにあらず。只、願はくは、小児の窮厄を助けんと欲する而已。然れは、当分一銭の礼物に曁(およ)はす。天然痘(はやりぼうそう)流行の後、弥(いよいよ)再発の患なしと喜んて安心せしとき、相当の謝儀を以て報ひ給へかし。殊更、窮民逼迫の分は其儀に及さる間、遠慮なく来(きたっ)て治術を請給ふへし。施術所 北総無端軒圭輔木邨環誌*本書の刊行年が嘉永三年以降であるのは間違いないが、江戸末期か明治初年かは不明。作者の木村環(圭輔・無端軒)なる人物については未詳だが、刊年推定の根拠となる。いずれにしても、嘉永以降に急速に全国に広がった種痘法の啓蒙を目的として地方の医師が上梓した史料として価値が高い。(小泉吉永氏翻刻)
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