
見立福人子宝富根(毘沙門天):見立福人子寶富根(毘沙門天)
天保14年から弘化4年頃 (1843-47)
- 資料名1
- 見立福人子宝富根(毘沙門天):見立福人子寶富根(毘沙門天)
- 史料名1よみ
- みたて ふくじんこだからぶねびしゃもんてん
- 史料名Roma1
- mitatehukujinkodakarabunebishamonten
- 絵師・著者名
- 香蝶楼 豊國(歌川 豊国〈三代〉)
- Creator
- 落款等備考
- 香蝶楼豊國画
- 板元・製作者
- (藤慶)
- 制作年和暦
- 天保14年から弘化4年頃
- 制作年西暦
- 1843-47
- 書誌解題
- 資料名1
- 見立福人子宝富根(毘沙門天):見立福人子寶富根(毘沙門天)
- 資料名2
- 史料名1よみ
- みたて ふくじんこだからぶねびしゃもんてん
- 史料名2よみ
- 史料名Roma1
- mitatehukujinkodakarabunebishamonten
- 史料名Roma2
- Title
- Alternative title
- シリーズ名・代表明細
- 見立福人子宝富根
- 絵師・著者名
- 香蝶楼 豊國(歌川 豊国〈三代〉)
- 絵師・著作者名よみ
- 3だい とよくに (こうちょうろう とよくに/3だい うたがわ とよくに)
- Creator
- 管理No.
- 00000239
- 管理No.枝番号
- 落款等備考
- 香蝶楼豊國画
- 板元・製作者
- (藤慶)
- 彫摺師
- 制作年和暦
- 天保14年から弘化4年頃
- 制作年西暦
- 1843-47
- 制作年月
- 書誌解題
- 判型・形態
- 大判
- 印章の有無
- 名主1・板元
- 印章内容
- 名主:濱
- 複製フラグ
- 種別1
- 木版浮世絵
- 種別2
- 錦絵
- 種別3
- 内容1
- 子ども絵・こま絵
- 内容2
- 母子絵 美人画・毘沙門天 見立て
- 内容3
- 母と子(少年) 育児(遊び) 甲 槍 七福神(毘沙門天)※子どもの姿を毘沙門天に見る
- テーマ
- シリーズ名に「見立福人子宝富根」とあるように、子どもを七福人に見立てた揃物で
「富根」は「船」にかけてある。こま絵は丸の中に、七福人の本来の姿を描いてあるが
さらに宝船、飛鶴、蓑亀を加えた、全部で10枚の揃物である。(飛鶴、蓑亀は未所蔵)
七福人、宝船という江戸で人気の福神に子宝を組み合わせた吉祥画。
- 具体物
- こま絵は、甲冑を着け矛を持った武人が描かれており、毘沙門天である。この神も
大黒天と同じインドの軍神であったが、日本では財産を授ける神として信仰される
ようになった。絵は中国の武人姿になっている。本絵の子どもは、見事な鍬形を
つけた兜をかぶり、手には矛にかえ毛槍を持ち、足をふんばっている。母は勇ましい
子どもを、たのもしそうに眺めているが、その小袖は毘沙門天の甲冑に使われた
という毘沙門亀甲であり、大柄の大胆なデザインである。
- Comments
- 位置づけ
- 江戸後期には七福人詣と宝船の絵を枕の下に敷いての初夢が、福を招くとして
もてはやされた。これに子宝に恵まれ、その子が裕福に育つようにとの願いが
習合して生まれた吉祥画で、当時の人気絵師豊国三代の作品であることからも
福神や子宝への願いの強さがうかがえる。
- 讃・画中文字
- 自由記入欄
- ・七福人の由来は仏教用語の「七難七福」とされ、室町時代に京の町衆によって
始まったとされる。最初は恵比須、大黒の二神にさまざまな神が組み合わされた。
江戸時代の文化文政頃に、二神と毘沙門天、 弁財天、布袋和尚、寿老人
福禄寿という七人の組み合わせがほぼ固まり、宝船とともに福神信仰が大変
盛んになった。
・公文は、豊国三代の揃物8枚を全て所蔵している。関連作品では
「見立福神子宝富根」の題で、こま絵に鶴亀を配したものがあるようだが未見。
・七福人は、春信、歌麿、北斎なども手掛けており、公文では歌麿の
「風流小宝船」などを所蔵している。
- 史料分類
- 絵画