廣重(歌川 広重)
幼童遊び子をとろ子とろ
慶応4年 (1868)
資料名1
幼童遊び子をとろ子とろ
史料名1よみ
おさなあそびこをとろことろ
史料名Roma1
osanaasobikowotorokotoro
絵師・著者名
廣重(歌川 広重)
Creator
落款等備考
應需 廣重画
板元・製作者
(丸平)
制作年和暦
慶応4年
制作年西暦
1868
書誌解題
資料名1
幼童遊び子をとろ子とろ
資料名2
史料名1よみ
おさなあそびこをとろことろ
史料名2よみ
史料名Roma1
osanaasobikowotorokotoro
史料名Roma2
Title
Alternative title
シリーズ名・代表明細
幼童遊び子をとろ子とろ
絵師・著者名
廣重(歌川 広重)
絵師・著作者名よみ
ひろしげ:3だい (うたがわ ひろしげ:3だい)
Creator
管理No.
00000243
管理No.枝番号
000
落款等備考
應需 廣重画
板元・製作者
(丸平)
彫摺師
制作年和暦
慶応4年
制作年西暦
1868
制作年月
書誌解題
判型・形態
大判2枚続
印章の有無
年月 版元
印章内容
複製フラグ
種別1
木版浮世絵
種別2
錦絵
種別3
内容1
子ども絵
内容2
遊戯
内容3
少年 母と子(幼児 おんぶ) 子をとろ子とろ
テーマ
「幼童(おさな)遊び子をとろ/\」と題し、「子をとろ子とろ」を遊ぶ子どもたちが描かれているが、実は慶応4年正月に始まった戊辰戦争の風刺画である。幕府軍と討幕軍の戦いを、子どもの遊びや年中行事に置きかえて風刺してあり、子どもの衣服の文様から、何藩かが分かるようになっている。大人気となり、多種多量の作品が刊行された。従来、風刺画としてのみ研究・評価されてきたが、他の見立絵同様に当時の子どもの姿を反映した作品でもあり、幕末の遊びや年中行事、子ども衣装などを研究する手がかりともなっている。
具体物
右側の一列につながっているのが討幕軍で先頭の手習双紙のよろいを身につけているのが薩摩、末尾の幼児(明治天皇)を背負っているのが長州「がき大将の長松どん」である。薩摩がカスリ布で、次いで尾張(大根)、土佐(亀甲)、一人おいて津(つた)、岡山(くぎ抜き)、彦根(橘)、長州(萩)である。左側の先頭は会津(当の字)、そして桑名(はまぐり)、庄内(井桁、烏帽子にかたばみ)、旗を持つ姫路(しめなわ)、そして両手を頭に組み「ヲイあいぼう(会津)チャン、しっかりやんなへ、うしろにハおれがついているから、大丈夫」といっているのが徳川慶喜(一の字つなぎ)である。右後方の幼児をおぶった母は「ボヲヤァ、ごらんよ、長松どんがおやりだから大丈夫だよ」といっている。
Comments
位置づけ
この作品には、戊辰戦争風刺画としては珍しく落款・改印があり、広重三代による慶応4年2月の刊行と分かる。年代の判明をしている戊辰戦争風刺画としては、最も早くに刊行されている。これらの点から、同種のものでも最も貴重な作品である。
讃・画中文字
自由記入欄
何藩を示しているか、子ども着の文様の分析は「幕末維新の風刺画」(南 和男 吉川弘文館刊)による。
史料分類
絵画