廣重(歌川 広重)
本朝年歴図絵 八 亀偕郎入蓬莱
嘉永頃 (1848-1854)
資料名1
本朝年歴図絵 八 亀偕郎入蓬莱
史料名1よみ
ほんちょうねんれきずえ 08 かめろうをともないてほうらいにいたる
史料名Roma1
honchounenrekizue08 kamerouwotomonaitehourainiitaru
絵師・著者名
廣重(歌川 広重)
Creator
落款等備考
廣重画
板元・製作者
上金
制作年和暦
嘉永頃
制作年西暦
1848-1854
書誌解題
資料名1
本朝年歴図絵 八 亀偕郎入蓬莱
資料名2
史料名1よみ
ほんちょうねんれきずえ 08 かめろうをともないてほうらいにいたる
史料名2よみ
史料名Roma1
honchounenrekizue08 kamerouwotomonaitehourainiitaru
史料名Roma2
Title
Alternative title
シリーズ名・代表明細
本朝年歴図絵
絵師・著者名
廣重(歌川 広重)
絵師・著作者名よみ
ひろしげ (うたがわ ひろしげ)
Creator
管理No.
00000377
管理No.枝番号
落款等備考
廣重画
板元・製作者
上金
彫摺師
制作年和暦
嘉永頃
制作年西暦
1848-1854
制作年月
書誌解題
判型・形態
大判(横)
印章の有無
名主2 版元
印章内容
名主:濱・*
複製フラグ
種別1
木版浮世絵
種別2
錦絵
種別3
内容1
物語絵
内容2
昔話 おとぎ話
内容3
浦島
テーマ
「本朝年暦図会」は広重晩年の作で、「日本書紀」によりながら古代の各天皇の時代ごとに、主な出来事を画面の上部に記し、下部には出来事の一つを描写してある。これは、雄略22年の頃にある「丹波水の江に住む浦島の釣った亀が女となり、夫婦の契をなして蓬莱にいたる・・・・」の場面である。江戸時代には、助けられた亀の動物報恩を中心に、さまざまな浦島伝説が各地に広がる。この図には「亀 偕老入蓬莱」とあり、夫婦が仲良く老いる「偕老」を想定している。
具体物
中央に亀から化した美女が立ち、その指差す彼方をひざまづいた漁師姿の浦島が眺めている。浦島は釣り竿を持ち、腰みのを着けている。浜には波が打ち寄せ、波間の彼方には立派な龍宮門や御殿が連なっており、龍宮城である。これから、東海にあって仙人が住む不老不死の霊山・蓬莱山に向かおうとする幸せな二人である。だが、故郷が忘れられず、帰ったため白髪の老人となってしまう。
Comments
位置づけ
浦島太郎の伝説にはさまざまなタイプがあるが、これは「日本書紀」にある古くからの話で、中国の蓬莱伝説を反映している。絵師が歌川広重でもあり、貴重な作品。
讃・画中文字
本朝年歴図会(八)
人王十八代・履中天皇は、仁徳帝の子。都を大和の磐余(いわれ)にうつして稚桜(わかざくら)の宮と号(もう)す。
○癸卯四年、史(ふひと)を諸国に置きて民の往事をしるさしむ。
第十九・反正天皇は、履中帝の皇弟(おとみこ)都を河内丹比(たじひ)に移し、柴垣の宮とまうす。
第二十・允恭天皇は、反正帝の皇也。都を大和の飛鳥宮に(う)つす。
○四年、諸家の姓氏をさだむ。
○八年、皇女大中姫の妹、衣通姫(そとおりひめ)美色あり。天皇寵幸厚く、河内茅伝(ちぬ)の宮にうつしてしば  行幸(みゆき)あり。衣通姫、皇帝(くんし)を恋奉りて和歌を詠す。
わがせこが来へき宵なりさゝがにの    (→以下自由記述欄へ)
蜘のふるまひかねてしるとも
此夜はたして天皇行幸あり。これよりして蜘の下るを見る時は女の祥(さいわい)ありと云ひ習はせり。
第廿一・安康天皇は、先帝の第二の子也。都を大和石上(いそのかみ)に移して穴穂(あなほ)の宮と申す。
第廿三・雄略天皇は、允恭帝第五皇子、兄皇(あにみこ)安康を対(しいし)たる。眉輪王(まゆわのきみ)を誅して位につき□□都を泊瀬(はせ)にうつして朝倉のみやと号す。
○十六年、諸国に蚕を養ふ事を弘む。
○廿二年、雨照太神(あまてらすおんがみ)の託(たくせん=託宣)によりて、丹後より伊勢へ迂(うつ)す。是、今外宮也。内宮、鎮座より四百八十一年後なり。
○同年丹波水の江に住(すむ)、浦島が子、釣に出て得たる亀、化して女となり、浦島と夫婦の契をなし、伴ふて蓬莱にいたる。のち、□□に帰りしに、さらに知る人なし。年を□□□三百四十余年を経たりと。
(小泉吉永氏翻刻)
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史料分類
絵画