
蚕家織子之図 第九〈選別調整〉:蚕家織子之圖
天保頃 (1830-1844)
- 資料名1
- 蚕家織子之図 第九〈選別調整〉:蚕家織子之圖
- 史料名1よみ
- さんかしょくしのず だいく せんべつちょうせい
- 史料名Roma1
- sankashokushinozudaikusenbetsuchousei
- 絵師・著者名
- 一勇斎 國芳(歌川 国芳)
- Creator
- 落款等備考
- 一勇斎國芳画
- 板元・製作者
- 佐野屋喜兵衛(佐野喜)
- 制作年和暦
- 天保頃
- 制作年西暦
- 1830-1844
- 書誌解題
- 資料名1
- 蚕家織子之図 第九〈選別調整〉:蚕家織子之圖
- 資料名2
- 史料名1よみ
- さんかしょくしのず だいく せんべつちょうせい
- 史料名2よみ
- 史料名Roma1
- sankashokushinozudaikusenbetsuchousei
- 史料名Roma2
- Title
- Alternative title
- シリーズ名・代表明細
- 蚕家織子之図
- 絵師・著者名
- 一勇斎 國芳(歌川 国芳)
- 絵師・著作者名よみ
- くによし (いちゆうさい くによし/うたがわ くによし)
- Creator
- 管理No.
- 00000688
- 管理No.枝番号
- 009
- 落款等備考
- 一勇斎國芳画
- 板元・製作者
- 佐野屋喜兵衛(佐野喜)
- 彫摺師
- 制作年和暦
- 天保頃
- 制作年西暦
- 1830-1844
- 制作年月
- 書誌解題
- 判型・形態
- 大判
- 印章の有無
- 版元
- 印章内容
- 複製フラグ
- 種別1
- 木版浮世絵
- 種別2
- 錦絵
- 種別3
- 内容1
- 子ども絵
- 内容2
- 日常生活 産業 職業
- 内容3
- おかいこ 養蚕
- テーマ
- *本史料は、養蚕から機織りまでの一連の作業を略述したもので、同様の記事が江戸後期の女子用往来などにも多数見られるが、これらの記事が見え始めたのは、宝永 正徳以降と考えられる。この頃は産業別の往来物が登場し始めた時期で、庶民教育の広がりとともに、教育における職業的知識が重視された結果であろう。
- 具体物
- Comments
- 位置づけ
- 讃・画中文字
- 【第九・選別調整】
蔟より糸をおろし、色白く、いさぎよきを細糸のまゆとし、色黒きを粗糸のまゆとす。其綿に引くも、上中下をえらみ分ち、形を作りて束(たばね)、糸幾はく把とするなり。
一勇斎国芳画 佐野喜
- 自由記入欄
- シリーズ全体讃
蚕家織子(さんかしょくし)之図
【第一・蚕種】
蚕種の紙に産付たるが、春三月中気穀雨前後に生れ出るを「かえる」といふなり。一番、二ばんなどゝ別ち、おしきへいれ、桑の葉をきざみあたふる。是を「黒子」とも「一つずへ」ともいふなり。
一勇斎国芳画 佐野喜
*以下、画工名・板元名は同様につき省略。
【第二・採桑】
蚕煩ひなやむ事有て、桑をしか 食はぬこと四度(たび)有。是を「眠」とも「よどむ」ともいふ。第二度目の休を「高休」とも、「二度居」とも、「たけのやすみ」ともいふ。第三度目の休を「ふなの休」ともいふ。すへて休の時は、桑をあたふる事、其かげんあり。
【第三・稚蚕への給桑】
蚕三度の休の後、桑をくるゝにしたがひ、次第に大きになり、ます 多くなる故に、外(ほか)の竹すだれやうのものにうつし、桑の葉を刻み製するいとまなし。
【第四・蚕の休眠】
蚕、第四度目の休おば「大眠」とも、「にわの休」ともいふなり。追付(おっつけ)、起出(おきいず)べき時をうかゞひ、其用意をなす。
【第五・壮蚕への給桑】
蚕すでに「大眠り起」して、後は桑の葉をくるゝ事前々よりは多きゆゑ、桑の葉を採(とり)せいするにいとまなく、いそがしき。
【第六・営繭(上蔟))
蚕まゆを作る時を「はい子」といふ。広きふたの類に椎・柴などの物を置て、わらをおゝひにして、まゆを張すなり。四、五日もして後、まゆを一つづゝもぎはなして取なり。
【第七・羽化・産卵】
蚕種を取事は、蔟(まゆ)はるものより、取時、形のよき蚕をえらんで糸にてくゝり、釣置ば、蛾の蝶になり出る。牝牡(めお)を一つにしておけば、だん 子を産つける也。これを「うわ子」といふ。
【第八・糸くり】
生まゆを塩にひたす事あり。大き成つぼの内底に竹のすを入、其上に桐の葉を敷、又、其うへにまゆを敷ならべ、又、その上桐のはを敷て、塩をふりかけて、よくふたをして上を泥にてぬりふさぎ、七日にして取出し、釜に入て、わくにかけて糸にくり取なり。
【第九・選別調整】
蔟より糸をおろし、色白く、いさぎよきを細糸のまゆとし、色黒きを粗糸のまゆとす。其綿に引くも、上中下をえらみ分ち、形を作りて束(たばね)、糸幾はく把とするなり。
【第十・機織り】★
蚕の神を祭る事、日本(ひのもと)の古(いに)しへを考がふれば、斬過突智(かぐつち=軻遇突智神(かぐつちのかみ))、埴山姫(はにやまひめ)に逢て、稚彦霊(わかひこび)を産。此神の頭に蚕と桑となれりと、『神代巻』に見へたれば、本朝にては稚彦霊を祭るべきものか。又、第廿二代雄略天皇の御后みつから養蚕(こがい)し給ふ事、『日本紀』に見へたり。唐土(もろこし)にては黄帝の后・西陵氏を始とする事、『通鑑』に出せり。
- 史料分類
- 絵画