一登斎 芳綱(歌川 芳綱)
打毬合戦双六
嘉永5年 (1852)
資料名1
打毬合戦双六
史料名1よみ
だきゅうかっせんすごろく
史料名Roma1
dakyuukassensugoroku
絵師・著者名
一登斎 芳綱(歌川 芳綱)
Creator
落款等備考
一登斎 芳綱画
板元・製作者
制作年和暦
嘉永5年
制作年西暦
1852
書誌解題
資料名1
打毬合戦双六
資料名2
史料名1よみ
だきゅうかっせんすごろく
史料名2よみ
史料名Roma1
dakyuukassensugoroku
史料名Roma2
Title
Alternative title
シリーズ名・代表明細
打毬合戦双六
絵師・著者名
一登斎 芳綱(歌川 芳綱)
絵師・著作者名よみ
よしつな  (いっとさい よしつな/うたがわ よしつな)
Creator
管理No.
00000843
管理No.枝番号
落款等備考
一登斎 芳綱画
板元・製作者
彫摺師
制作年和暦
嘉永5年
制作年西暦
1852
制作年月
書誌解題
判型・形態
その他
印章の有無
印章内容
複製フラグ
種別1
木版浮世絵
種別2
錦絵
種別3
内容1
おもちゃ絵
内容2
ゲーム 武者
内容3
双六 打鞠 乗馬 合戦
テーマ
打毬を双六にしたもの。打毬とは、二組の騎馬に分かれ、毬杖で毬鞠をすくって自分の毬門に投げ入れてその数を競うゲームである。平安時代に中国から伝わり、一時すたれたが、江戸時代に八代将軍吉宗が馬術として奨励、各藩にも広まった。庶民の子どもは徒歩で行った。打毬は子どもたちにも人気があったと見え、武家の子どもが打毬をする浮世絵「子供あそび」(公文蔵)もある。
具体物
上段には、右に源氏の笹りんどうの紋をつけた馬印、左に平氏の蝶丸(揚羽蝶)の紋をつけた馬印が立っている。中央では源平の騎馬が、毬杖で毬をうばいあっている。下段には、右に太鼓、左に鉦が置かれ、自軍の毬が見事毬門に入ればこれを打ち鳴らす。桶は毬を運ぶため。騎馬の入場門にむかって、紋所を染めた幔幕を張りめぐらしてある。中段は枡目になっており、左右6コースずつで、源平6人までが、采を振って進め、ゴールの毬門をめざす。
Comments
位置づけ
馬は今日の自動車に当たり、馬術とも子どものあこがれであった。打毬(鞠)も人気があったからこそ双六になっている。公文は打毬に関する代表的な二種類の絵双六、それに浮世絵「子供あそび」、おもちゃ絵「新製馬乘づくし」と揃えている。
讃・画中文字
自由記入欄
遊び方
「回り双六」と同じように、采の数だけ進むが、回りながら進むのでなく、直進である。
・打毬は、明治維新以後は急速におとろえ、現在も続いているのは宮内庁、八戸市、山形市の三カ所のみになっている。
・二組に分かれての競技は、源平合戦になぞらえて行われることが多く、打毬も同様である。源氏は白い毬(鞠)を、平氏は赤い毬を自陣の門に投げ入れた。
・図のような馬による打毬を「騎馬打毬」、徒歩による打毬を「徒打毬(徒土打毬)とも呼ぶ。
史料分類
絵画