
容斎歴史画譜 第三 菅公手向山参拝ノ図
明治27年 (1894)
- 資料名1
- 容斎歴史画譜 第三 菅公手向山参拝ノ図
- 史料名1よみ
- ヨウサイレキシガフ
- 史料名Roma1
- 絵師・著者名
- 福井 月斎(縮図)
- Creator
- 落款等備考
- @
- 板元・製作者
- 青木蒿山堂
- 制作年和暦
- 明治27年
- 制作年西暦
- 1894
- 書誌解題
- 資料名1
- 容斎歴史画譜 第三 菅公手向山参拝ノ図
- 資料名2
- 史料名1よみ
- ヨウサイレキシガフ
- 史料名2よみ
- 史料名Roma1
- 史料名Roma2
- Title
- Alternative title
- シリーズ名・代表明細
- 容斎歴史画譜
- 絵師・著者名
- 福井 月斎(縮図)
- 絵師・著作者名よみ
- ようさい げっさい (きくち ようさい ふくい げっさい)
- Creator
- 管理No.
- 00000918
- 管理No.枝番号
- 003
- 落款等備考
- @
- 板元・製作者
- 青木蒿山堂
- 彫摺師
- 制作年和暦
- 明治27年
- 制作年西暦
- 1894
- 制作年月
- 書誌解題
- 判型・形態
- 中判
- 印章の有無
- 印章内容
- 複製フラグ
- 種別1
- 木版画
- 種別2
- 彩色
- 種別3
- 内容1
- 物語画
- 内容2
- 歴史画
- 内容3
- @
- テーマ
- 菅公は菅原道真のこと。道真は平安中期の学者・政治家で、詩才にすぐれ文章博士となった。宇多天皇に重用され、権大納言、さらに右大臣へと破天荒な出世をするが、ねたまれて太宰府に左遷されて死ぬ。その後、京では道真のたたりとする異変が相次いで起こり、朝廷では罪を取り消して天満天神として北野天神にまつった。御霊のたたりを鎮める神であったが、すぐれた学者であったことから学問の神ともされるようになった。これは宇多天皇との旅先で、旅の安全を神に願った歌である。
- 具体物
- 公家の朝服である束帯を着て冠をかぶった菅原道真が、紅葉(もみじ)の小枝を幣(ぬさ)代わりに持ち、奈良・手向山の神に旅の安全を祈っている。皇居の背後には木立と山が見えており、ここには旅の安全を守る道祖神を祀ってあった。この旅は、宇多天皇の吉野・奈良行幸に従ったもの。道真はここで「このたびは幣もとりあへずたむけ山もみじの錦神のまにまに」の歌を詠んだ。これは百人一首にも収められている。
- Comments
- 位置づけ
- 菅原道真が宇多天皇に仕え、出世しつつあった頃の旅先での姿である。機転をきかせて、幣にかえ紅葉の小枝で天皇の旅の安全を願う場面は、天皇への真心を示し、また、和歌の才も示している。命じらしい道真像である。
- 讃・画中文字
- 容斎武保の落款
- 自由記入欄
- 菅原道真の浮世絵は芝居絵として描かれたものが多く「車弓」や「天拝山」がある。公文では国輝「大日本豪傑水滸伝 菅家」を所有。また、天神像では芳員『天満大自在天神」を所持。
- 史料分類
- 絵画