福井 月斎(縮図)
容斎歴史画譜 第十一 楠家父子訣別ノ図
明治27年 (1894)
資料名1
容斎歴史画譜 第十一 楠家父子訣別ノ図
史料名1よみ
ヨウサイレキシガフ
史料名Roma1
絵師・著者名
福井 月斎(縮図)
Creator
落款等備考
板元・製作者
青木蒿山堂
制作年和暦
明治27年
制作年西暦
1894
書誌解題
資料名1
容斎歴史画譜 第十一 楠家父子訣別ノ図
資料名2
史料名1よみ
ヨウサイレキシガフ
史料名2よみ
史料名Roma1
史料名Roma2
Title
Alternative title
シリーズ名・代表明細
容斎歴史画譜
絵師・著者名
福井 月斎(縮図)
絵師・著作者名よみ
ようさい  げっさい  (きくち ようさい   ふくい げっさい)
Creator
管理No.
00000918
管理No.枝番号
011
落款等備考
板元・製作者
青木蒿山堂
彫摺師
制作年和暦
明治27年
制作年西暦
1894
制作年月
書誌解題
判型・形態
中判
印章の有無
印章内容
複製フラグ
種別1
木版画
種別2
彩色
種別3
内容1
物語画
内容2
歴史画
内容3
テーマ
南北朝時代に南朝の武将として、金剛山のふもと赤坂を本拠に活躍した楠木正成・正行親子が訣別する場面である。兵庫湊川での合戦に死を覚悟した正成は、長男正行には再起を期待し、桜井の駅で河内へと帰ることを命じる。『太平記』に書かれたこの話は、明治になると「忠孝」の模範とされ、修身の教科書によって広く知られた。
具体物
摂津桜井の駅での正成・正行親子訣別場面である。松の老樹の下に、烏帽子をかぶり鎧も着ずに座した正成が軍扇をひざにつき、平伏する正行に別離の訓辞を述べている。正行は当時十二歳とされ、まだ少年であるが、鎧を着けて父と向き合い、話を真剣に受け止めている。正成の腰には短刀がさしてあるが、これを形見に渡して分かれる。
Comments
位置づけ
『太平記』で智謀無双の悪党的武将としての活躍ぶりが描かれた楠木親子は、明治以降は皇国史観による「忠孝」の代表的人物とされた。明治政府の意向を反映した歴史画である。その実像はまだ不明な点が多い。
讃・画中文字
八十六翁容斎の落款
自由記入欄
楠木親子は浮世絵にも登場するが、江戸時代には国芳の合戦絵に「四条縄手の戦い」がある程度にすぎない。明治になると「桜井の駅」の場面が清親や芳年によって取り上げられる。
史料分類
絵画