國貞(歌川 豊国:三代)
舞鶴駒吉
安政6年 (1859)
資料名1
舞鶴駒吉
史料名1よみ
まいづる こまきち
史料名Roma1
maizurukomakichi
絵師・著者名
國貞(歌川 豊国:三代)
Creator
落款等備考
國貞画
板元・製作者
山口屋
制作年和暦
安政6年
制作年西暦
1859
書誌解題
資料名1
舞鶴駒吉
資料名2
史料名1よみ
まいづる こまきち
史料名2よみ
史料名Roma1
maizurukomakichi
史料名Roma2
Title
Alternative title
シリーズ名・代表明細
舞鶴駒吉
絵師・著者名
國貞(歌川 豊国:三代)
絵師・著作者名よみ
くにさだ/3だい とよくに (うたがわ くにさだ/3だい うたがわ とよくに)
Creator
管理No.
00000928
管理No.枝番号
落款等備考
國貞画
板元・製作者
山口屋
彫摺師
制作年和暦
安政6年
制作年西暦
1859
制作年月
書誌解題
判型・形態
大判
印章の有無
年月改 版元
印章内容
未十一改
複製フラグ
種別1
木版浮世絵
種別2
錦絵
種別3
内容1
子ども絵 人物画
内容2
内容3
力士(舞鶴 釣吉) 怪童
テーマ
本所にある回向院で行われた勧進相撲で子どもながら人気があり、「怪童力士」と呼ばれた舞鶴駒吉の相撲絵である。回向院での勧進相撲は寛政年間から始まったが、次第に庶民の間で大人気となり、人気力士を描いた相撲絵も浮世絵の重要なテーマとなった。ただ、舞鶴駒吉のような子ども力士は、実際に相撲を取るのでなく、巨体を活かして見事な土俵入りを披露するだけであった。
具体物
盛装した舞鶴駒吉の美しい巨体ぶりを描いた相撲絵である。はばたく鳳凰を大きく描いた着物の裾は青海波で、赤い麻の葉文の帯を撚って腰に巻き、脇差しを帯びている。讃に八歳とあるが、満年齢では6~7歳でありながら25貫(93.7㎏)もあり、赤い鼻緒の下駄を履いて立つ姿は堂々としており、ふくよかな顔つきながら髷を結った表情は締まっている。
Comments
位置づけ
この相撲絵の絵師は、当時最も人気のあった歌川国貞であり、子ども力士も人気があったからこそ、国貞が描いたのであろう。江戸後期には、人気力士や相撲の決まり手などを扱った相撲尽しのおもちゃ絵も多数作られており、子どもの間でも強い力士はあこがれのヒーローであった。また、男子の遊びとしても相撲は好まれた。
讃・画中文字
駿河ノ産 箕嶋ノ門人也 当年未(ひつじ)八才
目方二十五貫目 回向院境内おいて 土俵入仕候
自由記入欄
2023年7月 絵師修正f
史料分類
絵画