探景(井上 探景)
教導立志基 二十七 毛利元就
明治22年 (1889)
資料名1
教導立志基 二十七 毛利元就
史料名1よみ
きょうどうりっしのもとい
史料名Roma1
kyoudourisshiki27 mourimotonari
絵師・著者名
探景(井上 探景)
Creator
落款等備考
探景
板元・製作者
松木 平吉
制作年和暦
明治22年
制作年西暦
1889
書誌解題
資料名1
教導立志基 二十七 毛利元就
資料名2
史料名1よみ
きょうどうりっしのもとい
史料名2よみ
史料名Roma1
kyoudourisshiki27 mourimotonari
史料名Roma2
Title
Alternative title
シリーズ名・代表明細
教導立志基
絵師・著者名
探景(井上 探景)
絵師・著作者名よみ
たんけい  (いのうえ たんけい)
Creator
管理No.
00000981
管理No.枝番号
005
落款等備考
探景
板元・製作者
松木 平吉
彫摺師
制作年和暦
明治22年
制作年西暦
1889
制作年月
書誌解題
判型・形態
間判
印章の有無
(御届)
印章内容
複製フラグ
種別1
近代版画
種別2
木版画
種別3
内容1
物語画 人物画
内容2
歴史 逸話 英雄豪傑
内容3
毛利元就
テーマ
戦国時代の武将・毛利元就が松寿丸と呼ばれた幼少時代の逸話である。安芸国(広島県)吉田村に生まれた元就が、厳島神社に参詣した際に、従者が「若君が当国(安芸)の主となるように」と祈ったと聞き、「なぜ日本全国の主となるよう願わないのか」ととがめた場面である。元就は安芸高田郡郡山城主から、次第に領地を拡大し、一代にして中国地方を支配する戦国大名となる。大志を抱くことの大切さを説いている。
具体物
女性の従者に伴われて、厳島神社(安芸の宮島)を参詣した少年時代の毛利元就である。
二人は干潮で干上った大鳥居のそばに立ち、きりっとした表情の元就が従者の祈願内容を聞いている。背後には厳島神社の社殿が見え、空には鳥が舞い、霞の後方に弥山(みせん)が浮かんでいる。水ぎわには鹿もいる。元就は腰刀をさしている。
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位置づけ
「教導立志基(きょうどうりっしのもとい)」は明治18年頃から5,6年間にわたって刊行された教育画で、さまざまな人物の逸話から志を立てることの重要性を説いている。全部で53枚とされ、芳年・国周・清親など、当時の代表的絵師が参画している。スマイルズの『西国立志編』が中村正直の翻訳で大評判となったのを受けて、日本人の立志伝をとまとめたものである。人物も著名な偉人ばかりでなく、ミドルクラスの刻若勉励や自主自立のための自己努力を中心に人選してある。元就・家康の幼年時代を紹介したり。内侍・静・秋色など才能ある女性を取り上げたところに明治らしさが感じられる。
讃・画中文字
毛利元就 未だ幼(いとけ)なかりし時 松寿丸と称す 従者に伴なはれて厳島神社に詣ず 帰途 従者に問ふて曰く 神前に如何なる事を祈しぞや 若君御運日出度 当国の主と成玉はんことを祈り候と聞(きい)て 汝我事を祈らば なんぞ日本全国の主となる事を願はざりや 人としてその望の域に達するの難(がた)きを知らずや云々           幸脩 述
 
自由記入欄
毛利元就は、その晩年に息子たち三人兄弟を集め、矢は一本だとすぐ折れるが、三本をまとめると折れないことを示し、三人が心を同じくするように願ったという。この三本の矢の遺訓でも有名。
史料分類
絵画