小林 清親
教導立志基 三十五 細川幽齋
明治19年 (1886)
資料名1
教導立志基 三十五 細川幽齋
史料名1よみ
きょうどうりっしのもとい
史料名Roma1
kyoudourisshiki35 hosokawayuusai
絵師・著者名
小林 清親
Creator
落款等備考
清親
板元・製作者
松木 平吉
制作年和暦
明治19年
制作年西暦
1886
書誌解題
資料名1
教導立志基 三十五 細川幽齋
資料名2
史料名1よみ
きょうどうりっしのもとい
史料名2よみ
史料名Roma1
kyoudourisshiki35 hosokawayuusai
史料名Roma2
Title
Alternative title
シリーズ名・代表明細
教導立志基
絵師・著者名
小林 清親
絵師・著作者名よみ
きよちか   (こばやし きよちか)
Creator
管理No.
00000981
管理No.枝番号
009
落款等備考
清親
板元・製作者
松木 平吉
彫摺師
制作年和暦
明治19年
制作年西暦
1886
制作年月
書誌解題
判型・形態
間判
印章の有無
(御届)
印章内容
複製フラグ
種別1
近代版画
種別2
木版画
種別3
内容1
物語画 人物画
内容2
歴史 逸話 英雄豪傑
内容3
細川幽斎
テーマ
細川幽齋は安土・桃山時代の武将で、歌人・古典学者として知られる。関ヶ原の合戦では徳川方につき、居城田辺城を三成軍に包囲されるが、幽齋の死によって歌道が廃れることを心配した天皇の勅令によって命を救われる。しかし、働き盛りの頃は武士に和歌の学びは無用と考えていた。ある戦いで、古歌をもとに敵がまだ近くにいることを従者に教えられ、敵を斬ることができてから、武士にも学問の有益なことを知り、それ以来学問に励んだという。学問の大切さを説いている。
具体物
壮年の頃、戦さで敵の乗りすてた白馬の前に立つ細川幽齋である。鎧胄に身を固めた幽齋は、背に長大な太刀を負い、手には鎌槍(十文字槍)を持っている。古歌にヒントを得た従者から、馬の乗下(鞍の下部)がまだ暖く、敵が近くに居ることを教えられ、周囲を見渡している。白馬は、赤い面懸(おもがい)と鞦(しりがい)を着けており、高い位の武士のようだ。まだ明るいが、背後の山影からは、月が登り始めている。幽齋が和歌や学問の重要性に開眼する場面である。
Comments
位置づけ
「教導立志基(きょうどうりっしのもとい)」は明治18年頃から5,6年間にわたって刊行された教育画で、さまざまな人物の逸話から志を立てることの重要性を説いている。全部で53枚とされ、芳年・国周・清親など、当時の代表的絵師が参画している。スマイルズの『西国立志編』が中村正直の翻訳で大評判となったのを受けて、日本人の立志伝をとまとめたものである。人物も著名な偉人ばかりでなく、ミドルクラスの刻若勉励や自主自立のための自己努力を中心に人選してある。元就・家康の幼年時代を紹介したり。内侍・静・秋色など才能ある女性を取り上げたところに明治らしさが感じられる。
讃・画中文字
細川幽齋は古今集の極秘を伝ふ可き勅(ちょく)を蒙(かうむ)り 関ヶ原の難を免れし人なり 然れども壮年の頃は和歌の学びもなく 武士には用無きわざとぞいひあへり 或戦ひに敵の乗棄(のりすて)たる馬を見て 引返せるを従者(じゅうしゃ)曰(いわく)乗下(のりした)の暖(あたたか)なるは遠くは行(ゆ)かじ 古歌に「君はまだ遠くはゆかじ 我袖の袂(たもと)の涙かわき果(はて)なば」と申事の候を聞き 直に追て其敵を斫(き)る 是より学問の益(えき)有ることを悟り怠らざりしと云
                                                  さちのぶ 述
自由記入欄
史料分類
絵画