豊原 國周(豊原 国周)
教導立志基 三十七 秋色
明治18年 (1885)
資料名1
教導立志基 三十七 秋色
史料名1よみ
きょうどうりっしのもとい
史料名Roma1
kyoudourisshiki37 shuushiki
絵師・著者名
豊原 國周(豊原 国周)
Creator
落款等備考
豊原 國周
板元・製作者
松木 平吉
制作年和暦
明治18年
制作年西暦
1885
書誌解題
資料名1
教導立志基 三十七 秋色
資料名2
史料名1よみ
きょうどうりっしのもとい
史料名2よみ
史料名Roma1
kyoudourisshiki37 shuushiki
史料名Roma2
Title
Alternative title
シリーズ名・代表明細
教導立志基
絵師・著者名
豊原 國周(豊原 国周)
絵師・著作者名よみ
くにちか    (とよはら くにちか)
Creator
管理No.
00000981
管理No.枝番号
010
落款等備考
豊原 國周
板元・製作者
松木 平吉
彫摺師
制作年和暦
明治18年
制作年西暦
1885
制作年月
書誌解題
判型・形態
間判
印章の有無
(御届)
印章内容
複製フラグ
種別1
近代版画
種別2
木版画
種別3
内容1
物語画 人物画
内容2
歴史 逸話 偉人 孝女 賢女
内容3
秋色〈しゅうしき〉(少女) 父
テーマ
秋色は江戸小網町の菓子屋の娘で、同業の菓子屋に嫁に行き、夫と共に其角に入門、俳人として知られ、享保10年(1725年)没す。その死後さまざまな伝説が、川柳、錦絵、講談、歌舞伎等で扱われた。伝説の一つが、讚にある上野の花見の句で、わずか13歳で詠んだとされる。もう一つが、親王に招かれた帰りに雨になり、輿に父を乗せた孝行伝説である。絵は後者を描いてあり、歌の才能とともに孝行ぶりを強調している。
具体物
親王に招かれた帰途、日が暮れて雨となり、少女・秋色は賜った輿(こし)に父を乗せ、自分は大きな提燈で足元を照らしながら歩いている。振袖の裾をからげ、はだしで、左手の笠で雨をさけている。駕籠かきの男と、大きな女乗りの駕籠が描かれているが、乗っているのは秋色の父である。右手には石垣、後方の闇には民家の質素な門と垣、庭木がぼんやり見えている。讚には輿とあるが輿なら屋形の下部に二本の轅(ながえ)をつけてあり、ここに描かれているのは屋根に一本の長柄を付けてかつぐ駕籠である。
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位置づけ
「教導立志基(きょうどうりっしのもとい)」は明治18年頃から5,6年間にわたって刊行された教育画で、さまざまな人物の逸話から志を立てることの重要性を説いている。全部で53枚とされ、芳年・国周・清親など、当時の代表的絵師が参画している。スマイルズの『西国立志編』が中村正直の翻訳で大評判となったのを受けて、日本人の立志伝をとまとめたものである。人物も著名な偉人ばかりでなく、ミドルクラスの刻若勉励や自主自立のための自己努力を中心に人選してある。元就・家康の幼年時代を紹介したり。内侍・静・秋色など才能ある女性を取り上げたところに明治らしさが感じられる。
讃・画中文字
秋色(しゅうしき)は江戸小網町菓子商の女(むすめ)なり 常に孝心深く 十三歳の時 東台(うえの)花見の際 大般若(だいはんにゃ)と名付し桜を見て「井の端(井戸端)の桜あぶなし酒の酔(よい)」と吟ぜしを 二品(ふほん)親王の上聞に達し屡(しばしば)殿中へ召(めさ)る 或日園中を拝見させんと父を供にいでたたせ連行(つれゆき)しに帰る頃 大雨(たいう)降出(ふりいで)たれば竹輿(かご)を賜(たまわ)る 秋色 途中密(ひそか)に父を替(かわ)り乗せ自ら雨具をまとひ付添て帰りしを 后(のち) 親王聞玉(ききたま)ひてその至孝(しこう)に感賞(かんしょう)し玉へるとかや 
                                                紅雲舎東窓 述
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