
教導立志基 三條実美公:三條實美公
明治23年 (1890)
- 資料名1
- 教導立志基 三條実美公:三條實美公
- 史料名1よみ
- きょうどうりっしのもとい
- 史料名Roma1
- kyoudourisshikisanjousanetomikou
- 絵師・著者名
- 水野 年方
- Creator
- 落款等備考
- 年方画
- 板元・製作者
- 松木 平吉
- 制作年和暦
- 明治23年
- 制作年西暦
- 1890
- 書誌解題
- 資料名1
- 教導立志基 三條実美公:三條實美公
- 資料名2
- 史料名1よみ
- きょうどうりっしのもとい
- 史料名2よみ
- 史料名Roma1
- kyoudourisshikisanjousanetomikou
- 史料名Roma2
- Title
- Alternative title
- シリーズ名・代表明細
- 教導立志基
- 絵師・著者名
- 水野 年方
- 絵師・著作者名よみ
- としかた (みずの としかた)
- Creator
- 管理No.
- 00000981
- 管理No.枝番号
- 012
- 落款等備考
- 年方画
- 板元・製作者
- 松木 平吉
- 彫摺師
- 制作年和暦
- 明治23年
- 制作年西暦
- 1890
- 制作年月
- 書誌解題
- 判型・形態
- 間判
- 印章の有無
- (御届)
- 印章内容
- 複製フラグ
- 種別1
- 近代版画
- 種別2
- 木版画
- 種別3
- 内容1
- 物語画 人物画
- 内容2
- 歴史 逸話 偉人
- 内容3
- 三條実美
- テーマ
- 三條実美は幕末・明治の公家・政治家で尊王攘夷運動に活躍。明治政府では内大臣を努めた。この絵は、文久3年8月に孝明天皇の大和行幸を期に、討幕の兵を挙げようと、実美や長州藩士が企てたが失敗、七人の公家や兵士が妙法院に集まり、長州へ退くことを決めた「七卿落ち」の場面である。このあと実美たちは衣冠を脱いで歩き、兵庫から船で長州へ向かった。長州および太宰府で、3年の幽居生活をすごす。
- 具体物
- 文久3年8月18日、夜になって妙法院に着き、長州兵士に挙兵の延期をさとし、いったん長州に退くことを説く三條実美である。寺の縁側に立つ実美は公家の衣冠を着している。長州兵たちは、庭に座して、かしこまって話を聞いている。庭の松の後方には、大きな月が輝いており、挙兵が挫折した無念の思いが感じられる。妙法院は京都市東山区にある天台宗の門跡寺院。
- Comments
- 位置づけ
- 「教導立志基(きょうどうりっしのもとい)」は明治18年頃から5,6年間にわたって刊行された教育画で、さまざまな人物の逸話から志を立てることの重要性を説いている。全部で53枚とされ、芳年・国周・清親など、当時の代表的絵師が参画している。スマイルズの『西国立志編』が中村正直の翻訳で大評判となったのを受けて、日本人の立志伝をとまとめたものである。人物も著名な偉人ばかりでなく、ミドルクラスの刻若勉励や自主自立のための自己努力を中心に人選してある。元就・家康の幼年時代を紹介したり。内侍・静・秋色など才能ある女性を取り上げたところに明治らしさが感じられる。
- 讃・画中文字
- 三條実美公 公は幼稚より皇室の衰へを歎き 王威を恢復せんとして兵を挙ぐれどもならず 南都妙法院に諸士を諭(さと)し 長防へ走り維新の革命に上京なし 副総裁議定に任じ 左近衛大将を拝し明治四年太政大臣に陞(のぼ)り 日本帝国の政律を革(あらた)め 大に文化の観を為せり
- 自由記入欄
- 作品番号が入っていないが、明治23年の刊行であり、この揃物の番外として出版された52番目か53番目に当たると思われる。
- 史料分類
- 絵画