
我家の焼跡
大正12年 (1923)
- 資料名1
- 我家の焼跡
- 史料名1よみ
- わがやのやけあと
- 史料名Roma1
- wagayanoyakeato
- 絵師・著者名
- 白帆
- Creator
- 落款等備考
- 板元・製作者
- 制作年和暦
- 大正12年
- 制作年西暦
- 1923
- 書誌解題
- 資料名1
- 我家の焼跡
- 資料名2
- 史料名1よみ
- わがやのやけあと
- 史料名2よみ
- 史料名Roma1
- wagayanoyakeato
- 史料名Roma2
- Title
- Alternative title
- シリーズ名・代表明細
- 我家の焼跡
- 絵師・著者名
- 白帆
- 絵師・著作者名よみ
- しらほ
- Creator
- 管理No.
- 00001036
- 管理No.枝番号
- 落款等備考
- 板元・製作者
- 彫摺師
- 制作年和暦
- 大正12年
- 制作年西暦
- 1923
- 制作年月
- 書誌解題
- 判型・形態
- 中判
- 印章の有無
- 印章内容
- 複製フラグ
- 種別1
- 近代版画 木版浮世絵
- 種別2
- 木版画 錦絵
- 種別3
- 内容1
- 風俗画 その他
- 内容2
- 母子絵 災害
- 内容3
- 関東大震災 震災 焼け跡
- テーマ
- 大正12年9月1日におこった関東大震災の木版画である。当時は写真技術も進み、雑法や絵はがきでは報道写真が広く活用された。しかし、画家たちも自らの体験に心象を織り込んで多くの作品を描き、木版画になって広く流布した。それらの作品には、母子の姿を描いたものも多い。
- 具体物
- これは震災直後、すっかり焼け落ちた我が家の跡に座り込んだ母と子である。乳呑み子を抱き、憔悴した母に、男の子がとりすがっている。遠くのビルのみ焼け残り、あたりにはまだ、白煙が立ち登っている。
- Comments
- 位置づけ
- 災害の中の母子の姿を、近代の画家がどうとらえて描いたかがうかがえる。
- 讃・画中文字
- 自由記入欄
- ・画家白帆に関しては未詳。
・明治末期から大正にかけて、木版浮世絵には新しく二つの流れが生まれる。一つは西洋の近代版画にならって自画自刻を中心とする「創作版画」である。もう一つは、従来同様に彫師・摺師の手を借りながらも、新しい表現をめざす「新版画」である。後者は近代浮世絵とも呼ばれた。
- 史料分類
- 絵画