
源平打毬合戦双六
安政4年 (1857)
- 資料名1
- 源平打毬合戦双六
- 史料名1よみ
- げんぺいだきゅうかっせんすごろく
- 史料名Roma1
- genpeidakyuukassensugoroku
- 絵師・著者名
- 哥川 國郷(歌川 国郷)
- Creator
- 落款等備考
- 哥川 國郷画
- 板元・製作者
- 和泉屋 市兵衛
- 制作年和暦
- 安政4年
- 制作年西暦
- 1857
- 書誌解題
- 資料名1
- 源平打毬合戦双六
- 資料名2
- 史料名1よみ
- げんぺいだきゅうかっせんすごろく
- 史料名2よみ
- 史料名Roma1
- genpeidakyuukassensugoroku
- 史料名Roma2
- Title
- Alternative title
- シリーズ名・代表明細
- 源平打毬合戦双六
- 絵師・著者名
- 哥川 國郷(歌川 国郷)
- 絵師・著作者名よみ
- くにさと (うたがわ くにさと)
- Creator
- 管理No.
- 00001201
- 管理No.枝番号
- 落款等備考
- 哥川 國郷画
- 板元・製作者
- 和泉屋 市兵衛
- 彫摺師
- 制作年和暦
- 安政4年
- 制作年西暦
- 1857
- 制作年月
- 書誌解題
- 判型・形態
- その他
- 印章の有無
- 年月 改
- 印章内容
- 巳八
- 複製フラグ
- 種別1
- 木版浮世絵
- 種別2
- 錦絵
- 種別3
- ゲーム
- 内容1
- おもちゃ絵
- 内容2
- ゲーム 物語絵
- 内容3
- 双六 源平合戦 打毬 武者
- テーマ
- 打毬を双六にしたもの。打毬とは、二組の騎馬に分かれ、毬杖で毬鞠をすくって自分の毬門に投げ入れてその数を競うゲームである。平安時代に中国から伝わり、一時すたれたが、江戸時代に八代将軍吉宗が馬術として奨励、各藩にも広まった。庶民の子どもは徒歩で行った。打毬は子どもたちにも人気があったと見え、武家の子どもが打毬をする浮世絵「子供あそび」(公文蔵)もある。
- 具体物
- 下段中央では、三人の武者がほら貝を高らかに吹き鳴らして、試合開始を告げており、左右から騎馬が入場している。会場には、竹矢来が組まれている。上段は試合が終わったあとの表彰式の場面である。試合は御前試合として行われ、天幕の下には礼服の大名が座り、家臣によって、勝者に褒美が渡されている。背後には笹りんんどうの馬印、吹き出し、旗、幟が立ち並び、どうやら勝者は源氏のようだ。敗者の平氏方(左側赤丸印の陣笠)は馬を降りて控え、勝者の源氏方(右側)は騎乘のままである。中段は枡目で、采の数に従って下から上へと駒を進め、ゴールを競う。
- Comments
- 位置づけ
- 馬は今日の自動車に当たり、馬術とも子どものあこがれであった。打毬(鞠)も人気があったからこそ双六になっている。公文は打毬に関する代表的な二種類の絵双六、それに浮世絵「子供あそび」、おもちゃ絵「新製馬乘づくし」と揃えている。
- 讃・画中文字
- 自由記入欄
- 遊び方
「回り双六」と同じように、采の数だけ進むが、回りながら進むのでなく、直進である。
・打毬は、明治維新以後は急速におとろえ、現在も続いているのは宮内庁、八戸市、山形市の三カ所のみになっている。
・二組に分かれての競技は、源平合戦になぞらえて行われることが多く、打毬も同様である。源氏は白い毬(鞠)を、平氏は赤い毬を自陣の門に投げ入れた。
・図のような馬による打毬を「騎馬打毬」、徒歩による打毬を「徒打毬(徒土打毬)とも呼ぶ。
- 史料分類
- 絵画