清親(小林 清親)
教導立志基 三 小野道風
明治19年 (1886)
資料名1
教導立志基 三 小野道風
史料名1よみ
きょうどうりっしのもとい
史料名Roma1
kyoudourisshinomotoi3 ononotouhuu
絵師・著者名
清親(小林 清親)
Creator
落款等備考
清親
板元・製作者
松木平吉
制作年和暦
明治19年
制作年西暦
1886
書誌解題
資料名1
教導立志基 三 小野道風
資料名2
史料名1よみ
きょうどうりっしのもとい
史料名2よみ
史料名Roma1
kyoudourisshinomotoi3 ononotouhuu
史料名Roma2
Title
Alternative title
シリーズ名・代表明細
教導立志基
絵師・著者名
清親(小林 清親)
絵師・著作者名よみ
きよちか (こばやし きよちか)
Creator
管理No.
00001373
管理No.枝番号
001
落款等備考
清親
板元・製作者
松木平吉
彫摺師
制作年和暦
明治19年
制作年西暦
1886
制作年月
明治19年5月21日
書誌解題
判型・形態
大判
印章の有無
(御届)
印章内容
複製フラグ
種別1
木版浮世絵
種別2
錦絵
種別3
内容1
人物画
内容2
教訓画
内容3
小野道風
テーマ
小野道風(おののとうふう、おののみちかぜ)は、平安時代の名書家で、藤原佐野・藤原行成とともに「三蹟」と呼ばれ、和様書道の創始者として知られる。道風が柳の枝に飛びつく蛙を見て発奮し、書道に励んだ話は有名である。空海も書に優れ、応天門での「投筆」の故事が知られる。大極殿が治承元年(1177)に焼失したのは事実だが、道風が予言したという話は、後に生まれた伝説である。
具体物
束帯姿で立ち、大極殿をふり返る小野道風である。冠をかぶり、赤い平緒(ひらお)を垂らし、緑の袍(ほう)をまとっている。背後の建物が、平安京朝堂院の正殿である大極殿。高大な御殿で、中央に天皇が政務を執る高御座(たかみくら)が置かれていた。ただその建物の細部は不明である。大極殿は「たいきょくでん」とも「たいごくでん」とも読む。
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位置づけ
「教導立志基(きょうどうりっしのもとい)」は明治18年頃から5,6年間にわたって刊行された教育画で、さまざまな人物の逸話から志を立てることの重要性を説いている。全部で53枚とされ、芳年・国周・清親など、当時の代表的絵師が参画している。スマイルズの『西国立志編』が中村正直の翻訳で大評判となったのを受けて、日本人の立志伝をとまとめたものである。人物も著名な偉人ばかりでなく、ミドルクラスの刻若勉励や自主自立のための自己努力を中心に人選してある。元就・家康の幼年時代を紹介したり。内侍・静・秋色など才能ある女性を取り上げたところに明治らしさが感じられる。
讃・画中文字
嵯峨(さが)帝の御時 釋空海勅をうけて 大極殿(たいきょくでん)の偏額(がく)を書す小野の道風 これを見て大極殿の大の字 火の字の如く 是れ 大極殿にあらば 火極殿(かきょくでん)と見えたり 火極(かきょく)は火極(ひきわま)るとよめり 末年(まつねん)いかがなるべきと笑ひけるに 果して治承元年四月二十八日樋口島小路より火起り 火焔飛(かえんとぶ)がごとく八省大極殿青龍白虎其他の諸門皆灰燼(かいじん)となりしぞ
                                                  斎藤風莢述
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史料分類
絵画