歌川 廣重(歌川 広重:3代)
幼童遊び子をとろ子をとろ
慶応4年 (1868)
資料名1
幼童遊び子をとろ子をとろ
史料名1よみ
おさなあそびこをとろこをとろ
史料名Roma1
osanaasobikowotorokowotoro
絵師・著者名
歌川 廣重(歌川 広重:3代)
Creator
落款等備考
應需 廣重 戯画
板元・製作者
(丸平)
制作年和暦
慶応4年
制作年西暦
1868
書誌解題
資料名1
幼童遊び子をとろ子をとろ
資料名2
史料名1よみ
おさなあそびこをとろこをとろ
史料名2よみ
史料名Roma1
osanaasobikowotorokowotoro
史料名Roma2
Title
Alternative title
シリーズ名・代表明細
幼童遊び子をとろ子をとろ
絵師・著者名
歌川 廣重(歌川 広重:3代)
絵師・著作者名よみ
ひろしげ  (うたがわ ひろしげ:3だい)
Creator
管理No.
00002072
管理No.枝番号
000
落款等備考
應需 廣重 戯画
板元・製作者
(丸平)
彫摺師
制作年和暦
慶応4年
制作年西暦
1868
制作年月
慶応4年2月
書誌解題
判型・形態
大判2枚続
印章の有無
年月改 版元
印章内容
辰二改
複製フラグ
種別1
木版浮世絵
種別2
錦絵
種別3
内容1
子ども絵
内容2
風刺絵(幕末 維新) 遊戯画
内容3
子をとろ
テーマ
メインテーマは戊辰戦争の進展の様子であり、新政府と旧幕府軍の戦いぶりである。しかし、幕末の子ども遊びに場面を置きかえてあり、当時の子どもたちの遊びや風俗を解明する貴重な絵画史料でもある。ここでは、子ども絵としての解読を中心に行い、風刺絵としての解説はおさえ、参考文献A、Bの作品番号ないし頁数を上げておく。
具体物
題に「幼童遊び子をとろ/\」とあるように、遊びは「子をとろ・・・」である。左側の當の字を染め抜いた半天の子が鬼で、右側につながる子どもの最後尾の子をつかまえる遊びである。右側の先頭の子は親で、手習双紙をよろい代わりに身につけ、鬼の行く手をさえぎっている。左側が幕府軍で先頭の鬼は会津藩、後方頭上で手をつないでいるのが徳川慶喜、幟を持つのは姫路藩。右側先頭から薩摩藩、尾張藩、土佐藩と続き、最後が明治天皇をおぶった長州藩で、右端の女性は和宮とされる。
Comments
位置づけ
慶応4年(戊辰)正月の鳥羽・伏見の戦に始まる戊辰戦争に関しては、多くの風刺画が出版されて人気を呼んだ。なかでも、新政府軍と旧幕府軍の戦いを、子ども遊びに見立てた「子ども遊び風刺絵」が目立つ。従来、風刺内容を中心に研究されてきたので、ここでは子どもの遊び及び風俗の観点から解読を進める。
讃・画中文字
「応需 広重 戯画・改印・丸平」から、絵師は広重三代、版元は丸屋平次郎、刊行は慶応4年2月と分かる。戊辰戦争風刺絵として、落款のあるものは珍しく、刊行年月が明記されている点でも貴重、子ども遊び風刺絵としては最も初期の刊行である。
自由記入欄
参考文献
「幕末の風刺画」1995年、町田市立博物館図録 第95集 A
「幕末維新の風刺画」南和男著、吉川弘文館 1995年刊 B

Aの図1(P12)参照
「子ども遊び風刺絵」①(2月刊)
日の丸の幟は、江戸幕府の御用船に始まり、安政元年から日本の船の船尾につけられた。
史料分類
絵画