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教導立志基 三條実美公/教導立志基 三條實美公キョウドウリッシノモトイ サンジョウサネトミコウ

教導立志基 三條実美公/教導立志基 三條實美公

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作者名 年方   (水野 年方)
作者名ヨミ トシカタ  (ミズノ トシカタ)
代表明細・シリーズ名称 教導立志基     サンジョウ サネミ
落款等備考 年方画
制作者備考 松木 平吉
印章等 御届
印章注記
時代区分 明治23年
西暦 1890
形態 間判
種別1 木版浮世絵
種別2 明治の錦絵
種別3
内容1 物語画 人物画
内容2 歴史 逸話 偉人
内容3 三條実美  長州兵士  妙法院

追加情報

三條実美は幕末・明治の公家・政治家で尊王攘夷運動に活躍。明治政府では内大臣を努めた。この絵は、文久3年8月に孝明天皇の大和行幸を期に、討幕の兵を挙げようと、実美や長州藩士が企てたが失敗、七人の公家や兵士が妙法院に集まり、長州へ退くことを決めた「七卿落ち」の場面である。このあと実美たちは衣冠を脱いで歩き、兵庫から船で長州へ向かった。長州および太宰府で、3年の幽居生活をすごす。
文久3年8月18日、夜になって妙法院に着き、長州兵士に挙兵の延期をさとし、いったん長州に退くことを説く三條実美である。寺の縁側に立つ実美は公家の衣冠を着している。長州兵たちは、庭に座して、かしこまって話を聞いている。庭の松の後方には、大きな月が輝いており、挙兵が挫折した無念の思いが感じられる。妙法院は京都市東山区にある天台宗の門跡寺院。
「教導立志基(きょうどうりっしのもとい)」は明治18年頃から5,6年間にわたって刊行された教育画で、さまざまな人物の逸話から志を立てることの重要性を説いている。全部で53枚とされ、芳年・国周・清親など、当時の代表的絵師が参画している。スマイルズの『西国立志編』が中村正直の翻訳で大評判となったのを受けて、日本人の立志伝をとまとめたものである。人物も著名な偉人ばかりでなく、ミドルクラスの刻若勉励や自主自立のための自己努力を中心に人選してある。元就・家康の幼年時代を紹介したり。内侍・静・秋色など才能ある女性を取り上げたところに明治らしさが感じられる。
三條実美公 公は幼稚より皇室の衰へを歎き 王威を恢復せんとして兵を挙ぐれどもならず 南都妙法院に諸士を諭(さと)し 長防へ走り維新の革命に上京なし 副総裁議定に任じ 左近衛大将を拝し明治四年太政大臣に陞(のぼ)り 日本帝国の政律を革(あらた)め 大に文化の観を為せり
作品番号が入っていないが、明治23年の刊行であり、この揃物の番外として出版された52番目か53番目に当たると思われる。

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