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舞鶴駒吉マイヅル コマキチ

舞鶴駒吉

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作者名 二代 歌川 国貞
作者名ヨミ 2ダイ ウタガワ クニサダ
代表明細・シリーズ名称 舞鶴駒吉
落款等備考 國貞画
制作者備考 山口屋
印章等 年月改 版元
印章注記 未十一改
時代区分 安政6年
西暦 1859
形態 大判
種別1 木版浮世絵
種別2 錦絵
種別3
内容1 子ども絵 人物画
内容2 相撲絵
内容3 力士(舞鶴 駒吉) 怪童 力士

追加情報

本所にある回向院で行われた勧進相撲で子どもながら人気があり、「怪童力士」と呼ばれた舞鶴駒吉の相撲絵である。回向院での勧進相撲は寛政年間から始まったが、次第に庶民の間で大人気となり、人気力士を描いた相撲絵も浮世絵の重要なテーマとなった。ただ、舞鶴駒吉のような子ども力士は、実際に相撲を取るのでなく、巨体を活かして見事な土俵入りを披露するだけであった。
盛装した舞鶴駒吉の美しい巨体ぶりを描いた相撲絵である。はばたく鳳凰を大きく描いた着物の裾は青海波で、赤い麻の葉文の帯を撚って腰に巻き、脇差しを帯びている。讃に八歳とあるが、満年齢では6~7歳でありながら25貫(93.7㎏)もあり、赤い鼻緒の下駄を履いて立つ姿は堂々としており、ふくよかな顔つきながら髷を結った表情は締まっている。
この相撲絵の絵師は、当時最も人気のあった歌川国貞であり、子ども力士も人気があったからこそ、国貞が描いたのであろう。江戸後期には、人気力士や相撲の決まり手などを扱った相撲尽しのおもちゃ絵も多数作られており、子どもの間でも強い力士はあこがれのヒーローであった。また、男子の遊びとしても相撲は好まれた。
駿河ノ産 箕嶋ノ門人也 当年未(ひつじ)八才
目方二十五貫目 回向院境内おいて 土俵入仕候
2023年7月 絵師修正f

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