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幼童遊び子をとろ子をとろ
オサナアソビコヲトロコヲトロ
作者名
広重:3代 (歌川 廣重/歌川 広重:3代)
作者名ヨミ
ヒロシゲ (ウタガワ ヒロシゲ:3ダイ)
代表明細・シリーズ名称
幼童遊び子をとろ子をとろ
落款等備考
應需廣重 戯画
制作者備考
丸平
印章等
年月改 版元
印章注記
辰二改
時代区分
慶応4年(明治元年)2月
西暦
1868
形態
大判
種別1
木版浮世絵
種別2
錦絵
種別3
内容1
子ども絵
内容2
風刺絵(幕末 維新) 遊戯画
内容3
子をとろ 日の丸の幟 手習双紙
追加情報
テーマ
具体物
位置付け
画中の文字・文章
備考
メインテーマは戊辰戦争の進展の様子であり、新政府と旧幕府軍の戦いぶりである。しかし、幕末の子ども遊びに場面を置きかえてあり、当時の子どもたちの遊びや風俗を解明する貴重な絵画史料でもある。ここでは、子ども絵としての解読を中心に行い、風刺絵としての解説はおさえ、参考文献A、Bの作品番号ないし頁数を上げておく。
題に「幼童遊び子をとろ/\」とあるように、遊びは「子をとろ・・・」である。左側の當の字を染め抜いた半天の子が鬼で、右側につながる子どもの最後尾の子をつかまえる遊びである。右側の先頭の子は親で、手習双紙をよろい代わりに身につけ、鬼の行く手をさえぎっている。左側が幕府軍で先頭の鬼は会津藩、後方頭上で手をつないでいるのが徳川慶喜、幟を持つのは姫路藩。右側先頭から薩摩藩、尾張藩、土佐藩と続き、最後が明治天皇をおぶった長州藩で、右端の女性は和宮とされる。
慶応4年(戊辰)正月の鳥羽・伏見の戦に始まる戊辰戦争に関しては、多くの風刺画が出版されて人気を呼んだ。なかでも、新政府軍と旧幕府軍の戦いを、子ども遊びに見立てた「子ども遊び風刺絵」が目立つ。従来、風刺内容を中心に研究されてきたので、ここでは子どもの遊び及び風俗の観点から解読を進める。
「応需 広重 戯画・改印・丸平」から、絵師は広重三代、版元は丸屋平次郎、刊行は慶応4年2月と分かる。戊辰戦争風刺絵として、落款のあるものは珍しく、刊行年月が明記されている点でも貴重、子ども遊び風刺絵としては最も初期の刊行である。
参考文献
「幕末の風刺画」1995年、町田市立博物館図録 第95集 A
「幕末維新の風刺画」南和男著、吉川弘文館 1995年刊 B
Aの図1(P12)参照
「子ども遊び風刺絵」①(2月刊)
日の丸の幟は、江戸幕府の御用船に始まり、安政元年から日本の船の船尾につけられた。
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